『The Outrun/おくびょう鳥が歌う方へ』|シアーシャ・ローナンが体当たりで演じた再生の物語
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更新日:11 分前

スコットランドの最北端に浮かぶオークニー諸島。人も街の騒音もない。あるのは風の音と、波の音と、雨に濡れる窓の音だけ。でも主人公ロナの頭の中は、そんな静けさとは正反対だった。
「おくびょう鳥が歌う方へ」はどんな映画?
原題は『The Outrun』。日本語タイトルは「おくびょう鳥が歌う方へ」原作はイギリスでベストセラーになったエイミー・リップトロットのノンフィクション回想録で,著者自身のアルコール依存症との闘いをリアルに綴ったもの。それをドイツ出身のノラ・フィングシャイト監督が映画化した。 ノラさんは『システム・クラッシャー』でベルリン国際映画祭の賞を受けた監督で、主演はシアーシャ・ローナン。
あらすじとしては「大都会で自分を見失った女性が, 故郷で新たな生き方を模索する」というものだけど、それだけじゃ全然伝わらない。アルコール依存症の怖さと難しさを、これほどリアルに描いた映画はなかなかない。
時間軸を「髪の色」で語る構成
この映画の構成がまず面白い。時系列に沿って進むんじゃなくて, ロナの「今」と「過去の回想」が断片的に交差しながら展開していく。しかもその回想も時系列順じゃない。たとえば冒頭でいきなり顔にあざのあるロナが登場し、何があったんだと不安になるのだが、その経緯はかなり後になってようやく明かされる。じゃあどうやって「これはいつのシーン?」を伝えるかというと、ロナの髪の色で表現している。ゴールドがベースの彼女が、ブルーならロンドン時代、毛先だけブルーならAAミーティング参加時代、オレンジなら別の時期、という具合にセリフや字幕じゃなくて、視覚だけで時間軸を伝える。この方法が映画の雰囲気にもすごくしっくりきていて、見ていてじわじわと心地がいい。
頭の中の騒音をテクノで表す
アルコール依存症の表現で印象的だったのが、音の使い方。ロナはオークニーに移り住んで、渡り鳥の調査の仕事をしながら回復を目指している。自然の中で一人で作業するシーンが多いのだが、彼女はいつもヘッドホンをつけていて、ロンドンのクラブで流れていたようなテクノ系の音楽をガンガンに流している。台詞で「頭の中がうるさい」とは言わない。でも繰り返されるそのシーンの積み重ねで、静かな自然の中にいながら彼女の内側がいかに騒がしいかが伝わってくる。そしてオークニーに長くいるほど、そのシーンが減っていく。それだけで、彼女がどれだけ回復してきたかが分かる仕組みになっている。
寒中水泳のシーン
個人的に一番好きなシーンが、オークニーの海に飛び込む寒中水泳のシーン。最初は足を海につけただけで「寒い」と引き返すロナが、ある日思い切って全身で海に入っていく。その後の彼女の表情がいい。気分が上がっていく。自分も定期的に寒中水泳をやっているので、あのエンドルフィンが一気に湧き上がる感覚は本当によく分かる。原作を書いたエイミーさん本人のインスタを見たら、今も定期的に寒中水泳を続けているらしくて, 著者への親近感がぐっと上がった。
バイポーラーの父親というもう一つの軸
この映画はアルコール依存症だけを描いているわけじゃない。ロナの父親が双極性障害(バイポーラー)で、彼女は子供の頃からその父親の激しいアップダウンを目の当たりにしながら育ってきた。そのトラウマが彼女の依存症の遠因なのかもしれないと私は感じた。深く掘り下げるわけじゃないけど, 「なぜ彼女がこうなったのか」という背景として静かに効いている。依存症で苦しむ人本人だけじゃなく、周囲の人間の辛さもちゃんと描かれていてたのも良かった。
監督がオークニーに一度も行ったことがなかったという事実
驚いたのが, ノラ・フィングシャイト監督がオークニーに行ったことがなかった状態でこの映画を作りだしたということ。映画の中でオークニーの自然、風の音、波、雨、鳥の声がどれだけ重要な役割を果たしているか考えると、これはかなり驚く。彼女いわく、原作の中でオークニーの自然描写が非常に細かく, ロンドンとの対比で繊細に書かれていたので, それを頼りに映画を組み立てたとのこと。原作の力と、それを映像に翻訳した監督の腕、両方すごいと思った.
心に残ったセリフ
波はある高さ以上には保てない. いずれ崩れ落ちる.
訳し方によって少し変わるかもしれないけど、このラインが一番刺さった。人の感情もムードも、永遠に同じ状態を保つことはできない。調子がいい時はずっと続いてほしいと思うし、悪い時は「このまま続くかも」と思いがち。でも波がそうであるように、どんな状態もいつか必ず崩れていく。依存症の文脈だけじゃなく、人生全般に通じる言葉として響いた.
こんな人に見てほしい
依存症に苦しんでいる人、あるいはそのそばにいる人にはぜひ見てほしい。若い女性がアルコール依存症と向き合う話というのは、 今までの映画ではほとんどなかったジャンルで、そこも評価されている作品でもある。それ以外では、スコットランドの自然が好きな人、スカイ島やオークニーのような場所が好きなら、映像だけでも十分楽しめる。そしてシアーシャ・ローナンが好きな人は迷わず見てほしい。彼女の演技, 特に肌の荒れた様子まで体当たりで表現している役作りは本当にすごかった。
退屈といえば退屈、でも心地いい退屈
派手な起承転結があるわけじゃない。最後に何かを劇的に達成するわけでもない。ひたすらロナが自分と向き合い続ける、それだけの映画。でもそれが「心地のいい退屈」で、見終わった後の静けさがじんわりと残る。そういう映画が好きな人には刺さると思う。日本ではAmazonプライムビデオでも視聴できるようだ。


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