フェイスブック暴露本『Careless People』を読んで|理想を失った巨大テック企業の内側
- 2 日前
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最近、 「Careless People: A Cautionary Tale of Power, Greed, and Lost Idealism」を読んだ。Facebookの内部にいた人物による告発本である。 日本語版はまだ出ていないが、 現代社会やテック企業の本質について深く考えさせる内容だ。自分は1990年生まれ。Facebookの黎明期をリアルタイムで体験した世代である。海外の友人とつながり、 イベントを作り、仕事にも活用してきた。 あの頃のFacebookは確かに「世界をよりオープンで、 よりつながった場所にする」という理想を体現しているように見えた。しかし今、 フィードに流れてくるのは真偽不明のニュース、 扇動的な投稿、 過剰に最適化された広告ばかりだ。 どこかで会話した内容が数十秒後に広告として表示されることもある。 便利さと引き換えに、 何かを差し出してしまった感覚がある。本書は、 その違和感の正体を具体的なエピソードで描き出している。
理想に燃えて入社した著者
著者のサラさんは、 人権や国際問題に関心を持ち、 国連で働いていた人物だ。2011年当時、 「Facebookには世界を良くする可能性がある」と信じ、 自ら売り込み、 当時存在しなかったグローバル公共政策部門の設立を提案した。希望に満ちて入社した彼女が目にしたのは、 理想と現実の落差だった。社外からはビジョナリーとして称賛されるMark Zuckerbergや、 フェミニズムの象徴的存在とされるSheryl Sandberg。だが本書で描かれるのは、 利益を最優先し、 内部では冷酷とも言える判断を繰り返す経営陣の姿である。掲げられる理想と、 実際の行動のギャップがどんどんと大きくなる。その間でが本書の核心だ。その渦中で自分を見失わないように奮闘する著者目線でエピソードが展開されていくのだが、同僚の話を聞いているかのようにリアルな書かれ方をされているので、すごく話がイメージしやすい。例えば、著者がMark Zuckerbergを含むFacebookの社員とボードゲームをするエピソードだ。Markにわざと勝たせているエクゼキュティブメンバーを指摘するのが著者だけであり、いかにMarkに気を遣うことが社内の暗黙の雰囲気になっていたかが感じられる。
ミャンマー、 スリランカ、 そして政治利用
特に重いのは、 ミャンマーやスリランカでの暴動、 ジェノサイドとFacebookの関係が書かれている部分。扇動的な投稿が拡散され、 現実世界の暴力へとつながっていく。 その危険性を社内から訴えても、 経営トップの関心は低い。 優先されるのは常に成長と収益である。さらに、 トランプが初当選した米大統領選挙以降、 政治広告が巨大なビジネスモデルとして確立される過程も描かれる。Facebookは単なるSNSではなく、 政治インフラへと変貌していった。中国市場への接近についての記述も興味深い。
「不注意な人々」
本書のタイトルは、「The Great Gatsby」からの引用に由来するそうだ。私も過去に「グレート・ギャッツビー」を読んだことがあるが、あまり覚えていないので再度読み返したくなった。物事や人々を無茶苦茶にしておきながら、 自分たちは財産や無頓着さの中に引きこもり、 後始末は他人に任せた。権力と富を持つ者が、 自らの影響力の大きさを直視しないとき、 社会は静かに壊れていく。著者はFacebook経営陣を、 その「不注意な人々」と重ねている。現在ではAIの発達による懸念点や危険性に制御に全く無関心で、直接的にはAIを使って悪い行いをしていないにしろ、悪い行いができる状態にしておくことも、似たような状況と言えるだろう。
信憑性について
もちろん、内部告発本である以上、全てを外部から検証することはできない。ただ、元社員が「会議の描写や社内の空気感は正確だ」と証言している投稿もリンクドインであり、完全なフィクションとは考えにくい。著者自身は最終的に社内でのセクシャルハラスメント問題を人事に訴えた後、解雇された。なので、「腹いせではないか」と感じてしまうかもしれない。しかし巨大企業を相手に出版するリスクを考えれば、 単なる感情論では片付けられないと私は思う。
アルゴリズムの論理
本書を読みながら強く感じたのが、利益とモラルの葛藤は、Facebookだけの問題ではないということだ。例えばSNSのアルゴリズムは「人が長く滞在するコンテンツ」を優先する。怒り、恐怖、分断。そうした感情を刺激する投稿ほど拡散されやすいという事実は、もはや多くの研究で示されている。これについては、ユヴァル・ノア・ハラリさんの「NEXUS 情報の人類史 : 人間のネットワーク」で分かりやすく説明されている。この本を読むと長い人類史の中で「アルゴリズム」がこれまで我々が接してきた発明品と大きく異なることが理解できる。なので、Facebook社がしていなかったらきっと他の会社が同じ問題を起こしていたんじゃないかと思える。それくらいリスクマネジメントが難しいことなのかもしれない。
SNS運営会社が作りあげたプラットフォーム上で、「不注意でした」では済まされない取り返しのつかない出来事が多く起きている。さらにAIの台頭もあり、運営側に任せるだけでは安全とは言えない状況になってきた。
では、 どうするのか
FacebookやInstagramを完全に断つのは難しい。私もブログ運営の観点から、一定の利用は続けている。ただしフィードは見ない設定にし、能動的に使う範囲を限定している。それ以外にできることは、エビデンスが充分でないニュースは拡散しない、感情的な投稿を鵜呑みにしない、子どもに無制限で使わせない、とかであろうか。
オーストラリアが世界で初めて16歳未満のSNS利用を法律で禁止したり、ヨーロッパでも年齢制限の議論も進んでいる。社会全体でバランスを探り始めている段階だろう。
理想は消えたのか
世界中の人と無料でつながれることは、本当に革命的だった。だが巨大化した企業は、理想よりも利益を選ぶ、というか選ばざるを得ないのかもしれない。それ自体は資本主義社会では自然な流れである。 ただ、その影響力が国家や民主主義を左右する規模に達したとき、もはや「ただの企業」では済まない。「Careless People」は、テクノロジーの問題というより、人間の問題を描いた本である。権力を手にしたとき、人はどこまで自制できるのか。理想は失われたのか。それとも、私たち一人ひとりの使い方にまだ余地が残されているのか。答えは簡単ではない。 だが少なくとも、 無自覚ではいられなくなる一冊であった。



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