「あなたは勝ち負けにこだわるタイプですか?」という質問に対して、あなたはなんと答えるでしょうか?
きっと多くの人が勝ち負けと聞くとスポーツやゲームを連想すると思います。
1986年に出版された本「Finite and Infinite Games」によると、世の中のゲームは2つのタイプに分けることができると定義づけられています。
実はスポーツやゲームだけではなく、日常の会話やミーティング、そしてあなたの生活のほぼ全ての行動は、この2種類のタイプに当てはめることができるのです。
Finite Game (有限ゲーム)と Infinite Game (無限ゲーム)のコンセプトをもとに競争について考えてみましょう。
有限ゲーム VS 無限ゲーム
有限ゲーム
勝つことが目的のゲーム。
始まりと終わりが明らか。
ルールはすでに決められた固定されたもの。
参加者は最初から最後まで決められている。
選挙、ディベートなど
無限ゲーム
ゲームを永遠に続けることが目的。
終わりがない。
ルールは遊びながら参加者が決めていく。あってないようなもの。
誰でもいつでも参加できる。
ブレインストーミング、友達との雑談など
というものが基本的な2タイプの違いです。
どちらが良くてどちらが悪いということはありません。
ただし、他の参加者が無限ゲームのつもりで参加しているのに、あなたが有限ゲームのつもりで参加していると問題が起きてしまいます。
私自身も友人と会話していたはずなのに、なぜか後味が悪い会話に終わってしまったことがあります。いま振り返ってみると、相手は無限ゲームである雑談を楽しみたかったのに、私が有限ゲームと姿勢で参加してしまったことから、自分の意見が正しいと証明することがこの”会話”の目的となってしまったいたのだと気づきました。
また時には有限ゲームの枠組みを取り入れないと、参加者全員に損となってしまうこともあります。
心理カウンセラーの世界は、相談50分と決まっているそうです。それ以上だと雑談になり、相談者の為にならないそうです。意義ある有限ゲームの例かもしれません。
有限プレーヤーと無限プレーヤー
ここからが面白いところです。
この「有限ゲームと無限ゲーム」のコンセプトはゲームそのものだけでなく、わたしたちの性格にもあてはまることができるのです。
有限プレーヤーと無限プレーヤーと呼びましょう。
ではどういった違いがあるのでしょうか?
有限プレーヤーは社会を気にするが無限プレーヤーは文化を気にする
有限プレーヤーは社会(人生)を大きなゲームだと考える傾向があります。
学校や仕事など小さな有限ゲームからなる大きなゲーム、それが社会だと考えます。
他の参加者(生徒・同僚)と競い合い、勝った結果として”タイトル”が与えられる。
この”タイトル”というのは過去の競争に勝った証としての周り(社会)からの認知のことです。
例えば、営業部の部長という地位は今まで平社員から頑張り、周りとの競争に勝った証です。
この”タイトル”は時には所有物として社会に示すことを必要と感じてしまいます。ホテルのGMになったからといって高い時計を購入するプレッシャーを感じてしまうのがいい例です。
ところが、無限プレーヤーは社会を“常に変化を続ける文化”だと考えます。
有限プレーヤーのように”タイトル”に固執することは過去に固執することになります。
無限プレーヤーにとって、タイトル=過去 はどうでもいいことで、そんなことよりも変化をとげていく未来に注目をする性質があります。
よって、有限プレーヤーは他者が参加できるようなビジョン・思想をどうやって届けることができるのかを気にかけます。
会話であっても、、
有限プレーヤーはとにかく主導権を握る・他者をコントロールすることに喜びを感じてしまいます。
それは日常の会話であっても顕著にあらわれてきます。
どんな会話をしていても、自分の意見を正しいと相手に認めさせることがゴールとなってしまうこと、ふとないでしょうか?有限プレーヤーである可能性があります。
無限プレーヤーにとってはコントロールを握ることには興味がありません。会話をただ楽しみたいだけなのです。
有限プレーヤーにとって会話はギブアンドテイクなので、話したら聞く、話したら聞く、というスタイルです。また自分の意見がいかに正しいか・真実なのかを示すことに必死です。
しかし無限プレーヤーは自分の意見が正しいとは考えておらず、ただ自分の視点を相手に共有し、相手のどんな視点にもオープンで、会話がどんな方向に向かっていくかを純粋に楽しみます。
どうするかはあなた次第
有限ゲームも無限ゲームも共通していることは、参加は強制ではないということです。
また有限プレーヤーになるか無限プレーヤーになるか、その決定権はあなたにあります。
有限プレーヤーは有限プレーヤーであることを義務のように考えがち、あるいはプレッシャーを感じがちですが、誰もあなたに強制はしていない、ということを忘れないようにしましょう。
弁護士試験を乗り越えないと弁護士にはなれないように、有限プレーヤーは周りから選ばれないといけない、というのは真実です。
また有限プレーヤーでいるためには、外部から決められたことをこなしていく必要があることも真実です。弁護士であり続けるためには、裁判者に行ったり会議に参加する必要があります。
有限プレーヤーは外部から課されたイメージ(マスク)を被ることに苦しみを感じてしまうことがあります。例えば弁護士であれば、“賢い”という周りからのイメージを崩さないようにとプレッシャーを感じるでしょう。
問題となってくるのが、このマスクが自分自身でも被っていることに気づかなくなるということで、本当になりたい・いたい自分像というのを見失ってしまうことです。
このマスクで自分を見失わないようにしましょう。
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